最近、読んで面白かった小説。
たまにはここ最近で読んだ小説の話を。
絲山秋子の小説を二作ほど読んだ。『小松とうさちゃん』と『薄情』。
『小松とうさちゃん』の方はネトゲにはまるサラリーマンと大学の非常勤講師の話で、割合軽いタッチの話。最後に起こるちょっとした偶然というか小さな奇跡みたいなことが、意外とすんなり受け入れられるっていうか、あまりにも出来すぎなんだけど、素直にいいなと思えちゃうところがやっぱりすごく巧みだなっていう印象。
軽く読めて面白いので結構オススメ。
『薄情』の方は群馬に暮らすフリーターと出戻ってきたその後輩、そして、東京から来た木工職人が中心になってる話。地方にずっと住んでいる人、Uターンしてきた人、そして、そこにたまたまやって来たよそ者との微妙な距離が描かれてる。って書くとそれだけの小説みたいだけど、もっとリアルで濃い。この小説ででてくる、変人工房みたいな場所あったら、絶対入り浸ってるだろうな。自分。
しかし、『小松とうさちゃん』もそうだけど絲山秋子の書く男はまったく違和感がないどころかしっくりくるのがすごい。この話の男性主人公も違和感なし。
小川洋子の『原稿零枚日記』も読んだ。小川洋子も好きでよく読んでるけど、絲山秋子とは全く対照的な世界だな、って思う。この浮世離れした雰囲気。こちらは女性作家の日記、という体の小説ですが、一つ一つのエピソードが幻想的っていうか境界線上の話って感じ。苔料理とか、ドウケツエビとかありそうでなさそうで、ありそうな話をチョイスしてくる妙。ドウケツエビって本当にいるのにビックリした。創作かと思った。
この小説の主人公の女性作家はあらすじを書くのが上手で、物語を追いつつもその作品のなかの光る小石のような部分を見つけるのが得意ってエピソードがでてきたんだけど、今、このブログ書いてて、自分はそんなこと、全然できねーなって思った。読んだそばから忘れてしまうし。
ところで、読んだ小説のことって何でこんなにすぐ忘れてしまうんだろう。で、忘れたころに同じ小説を手にとって読みはじめて、半分くらいして、アレ、そういえばこれ読んだなーってことがよく起きる。映画もそうだけど。
文章の好み
このごろ、前のようにまた小説をよく読んでいる。去年辺りから小説ばかり読むのはやめようと思ってしばらくノンフィクションやら評論やら、他のものを選んで読んでたんだけど気づけば結局、元に戻ってた。このごろは長嶋有の小説を何作かと、阿部和重の『Deluxe Edition』、そして、とても苦手だった村上春樹を何作か読んだ。
長嶋有はやっぱり面白く、文章もしっくり来る。自分の性に合ってる。反対に阿部和重や村上春樹は内容は面白くても文章が自分の好みから外れてるっていうことがよく分かった。何故、この3者を比べてるのかよく分かんないけれど、まー最近読んだってことだけなんです。
村上春樹はあのかっこつけた文章がとても苦手で、話の中身が面白くてもいつも最初で挫折しそうになる。そして形式的なセックス描写が毎回気になってしまって、何でここでそうなるのかさっぱりわからないし、特別色気があるわけじゃないので、本当に?ってなってしまう。しかし、『神の子どもたちはみな踊る』と『ねじまき鳥クロニクル』はなかなか面白かった。『ねじまき鳥クロニクル』のなかの、戦争中の動物園のエピソード(実話に基づいてるそうですね)でエミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』を思い出しました。動物園にも戦争は来るよね。
阿部和重は凄く男の子の世界って感じがして、前はそれを面白く読んでたんだけど、今はそれをあまり面白がれなくなってしまった。凄く人工的で考えて作られてるっていうのは分かるんだけど、その考えられたスムーズじゃない文体と、それで語られてる希望みたいなことが繋がってこない。こちらも冷静になってしまって今いち、距離をとってしまう。
一方、長嶋有は文句無く面白い。作中で登場人物のやるゲームや言葉遊びがとてもいい。『夕子ちゃんの近道』、『ねたあとに』、『問いのない答え』、どれも面白かった。『問いのない答え』は日本の今の状況にツイッターやネットを絡めた意欲作って感じで面白く、また『夕子ちゃんの近道』は小説読んでて面白いのはこれだよ、これ!ってくらい幸福感を味わえた。