すべては紙の上に書かれている

円城塔の小説を読むとそんな言葉が浮かんでくる。

 

当たり前のことだけど、小説は書かれた文字や言葉の連なりによって構成されている、ということ。それが強く意識される。

 

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

例えば。

自分で小説っぽく適当にでっちあげますが…

 

 

私が通りを歩いていると、男が前方からふらふらと近づいてきた。

 

彼はぼさぼさ頭をしていて、ぶつぶつ何かを呟きながら、こちらに歩いて向かってくる。服装はとても貧相で、ぼろぼろのジーンズによれたTシャツがなんとも汚らしい。が、よく見るとそれは女だった。

 

彼改め彼女は下を向きながら、それでもまだなにか、ぶつぶつとオマジナイっぽい言葉を唱えながら、じわりじわりとこちらに向かってくる。気色が悪い。近づくとふわーっと動物っぽい、いいような悪いような匂いがしてきた。なんだ、何かの香水かと思っていると…

 

それはサルだった。

 

女じゃなかった、サルだったのだ、と一人納得していると、ふいにそれから声をかけられた。

 

あ、人間だ。

 

私は気付いた。それが長らく会っていない、子供の頃の友達であることに。そういえば、サルのようでもあり、女性のようでもあるような雰囲気を持ったやつだった。それが以前と変わらぬ小さな声でぶつぶつと、こちらに向け喋りかけていたのだった。私達は挨拶をかわすと、久しぶりに会えた喜びもあり、肩を叩き合った。そしてまた会おう、と連絡先を交換して別れた。

 

実際にはそんなことはまるで起こらなかったのだが。

 

 

はい。

つまらない文章でごめんなさい。

 

でも、こういう調子で、前の文章の内容がその次に続く文章によってどんどん覆されていき、結局、何なんだ?という風に物語が続いてくんです。円城塔の小説。

(もちろん、もっと面白いし、もっと色んな試みがなされていて、複雑ですが。)

 

これが快感なんですよね。結構。

 

すべてが文字で表される小説でしか、出来ないことです。円城塔の小説では、小説でしかできないような仕掛けがいっぱいあって、いつも新鮮で驚かされます。

 

それと同時に、自分の存在が次に続く文章であっという間に覆されてしまう、紙の上に書かれる登場人物の悲しみみたいなものを感じたりもします。

あるいは、今、書かれて、読まれてる文章の一回性みたいなことも。読んでる間だけ確かに存在する世界。

 

この『Self-Reference ENGINE』も冒頭から、そんな調子でわかったような、わからないような感じで始まるのですが、ほのかな悲しさが漂ってきて、すごく惹きつけられました。冒頭の引き込み具合では、今まで自分が読んだ小説の中でもかなり上位に入ります。

 

このなんだかわからない、悲しさとロマンチックさ。

 

しかし、とても馬鹿げたストーリーで、面白いんですが、きちんと読もうとすると大変でなかなか頭に入ってこない。読むのに苦労するけど、面白いので止められない。そんな小説でした。

 

なんていうか、この小説自体、小説論って感じもします。絶えず、「あなたは今、小説を読んでいるのです。小説ですよ。」って言われてるような。エピローグで特にそれを強く意識させられました。

 

うーん。円城塔の小説にハマってしまいそうです。