くちなしの歌
歌にうたわれる花って桜とか薔薇とか色々ありますが、クチナシも地味だけど意外とよくうたわれてますね。
っていうのもこの曲、聴いてちょっと思っただけなんですけど。
ビートルズ・ライクなアレンジがすばらすぃ~曲!
他にクチナシが出てくる歌といえば、松任谷由実の『やさしさに包まれたなら』が思い出されます。
ところで、クチナシって実が熟してきても割れないからクチナシというそうです。
要は「口無し」ってことなんですね。へ~。
考えてみると『くちなしの丘』も『やさしさに包まれたなら』もその「口無し」って言葉にかかってるんですね、詞が。
「くちなしの丘」は非常に抽象的な詞で、何を歌ってるのかはっきりと示されないんですが、それはつまり口が無いから、つまり言葉が無いからってことなんですよね。
ところで、クチナシは白くて可愛らしい花ですが、香りがよくて強いです。
確かに桜や薔薇のようには声高に主張しませんが、その存在を暗に匂わせてきます。
ここではそんな名前と花のイメージを巧妙に使われてて、「言葉にしたらすぐに壊れてきっともう戻らない」ほどの内心が曲を通して暗に匂わされ続けますが、具体的なところには全然着地しません。
まさにクチナシのイメージ通りの歌。
一方で『やさしさに包まれたなら』では「くちなしの香りのやさしさに包まれたなら きっと目に映るすべてのことはメッセージ」とあり、クチナシの香りが効果的に使われています。ここでは「目に映るすべてのこと」、つまり口に出されない、言葉になってないことにもメッセージがあるんだ、っていうことをクチナシ(口無し)の香りを使って暗に指し示してます。
そう読んでみると、めっちゃ日本人っぽい考え方に合ってる花な気もしますね、クチナシの花は。
いわゆる察しの文化というか。
そういうところが、クチナシが歌にうたわれる所以な気もしてきました。
ま、考えすぎな気もするけど!
ちなみにブランキー・ジェット・シティの『15才』では煙草をすすめたら「口がないから吸えないって言う」ってめちゃめちゃ矛盾した人が出てくるんですがそれが衝撃的でした。必然性があって、説得力があれば詞は矛盾していいんだ、ということを知った名曲です。